早朝新聞クリッピング 広報効果測定・報道分析

(社)日本パブリックリレーションズ協会加盟

株式会社デスクワン お問い合わせ

ケーススタディー: クレディセゾン様 (2017年12月号掲載)

※数値等のデータは掲載当時のものです。
※文章や画像の転載・転用はご遠慮ください。

      (左)クレディセゾン
      カード事業部 営業企画部
      (兼)営業企画部
      プロモーション戦略グループ
      部長 相河利尚氏

      (右)クレディセゾン
      ネット事業部
      インキュベーション部
      「東池袋52」メンバー
      裝摎「氏

クレディセゾンがアイドルグループを結成
「東池袋52」、セゾンブランドを発信
マス広告使わずにPRだけで認知拡大
2017年5月、新しいアイドルグループがデビューし、瞬く間に話題となった。クレディセゾンの社員とその関連会社の社員で構成された「東池袋52」。デビュー曲「わたしセゾン」は、ネットを中心に大きな反響を呼び、300以上のメディアから取りあげられた。一流の制作陣を集めて作ったコンテンツは「セゾンブランド」を伝える強力なツールとなったが、プロジェクトはそもそも「マス広告が届きにくくなった」という危機感からスタートしたという。その背景を探るべく、「東池袋52」結成の15年前に時計の針を戻したい。

■東池袋52・・・サンシャイン60の52階に本社を置くクレディセゾン及び関係会社社員の中から選ばれた24人の女性メンバーにより結成。「わたしセゾン」でデビューし、第2期メンバー17人、サポートメンバー1人を加え、12月15日には第4弾シングル「雪セゾン」をリリース。
「東池袋52」プロデューサーである相河さんは、セゾンカードのプロモーションを長年手掛けてこられました。おじいさんが鉄棒でぐるぐる回る「大車輪編」、美女が頭突きで瓦を割るCMは大変話題になりました。「広告が届きにくくなった」発言の背景から教えてください。

相河: ポイントの有効期限をなくした『セゾンドリーム』(現『永久不滅ポイント』)を始めたのが2002年でした。このサービスは業界に先駆けてスタートし、注目を集めることができましたし、お客様の支持も集めていたと思います。

ただ、「ドリーム」という名称を冠してみたものの、ポイントを1、2年で交換されるお客様が多く、ポイントの永続性といったサービスの強みがしっかりとお客様に伝わっているとは言えませんでした。

そこで、04年にネーミングを『永久不滅ポイント』に変え、ずっと貯め続けられ世界一周などの豪華アイテムからオリジナルアイテムまで、いつでも好きなものに交換できるように組み替えました。

これまで企業名のマス告知はしていましたが、『永久不滅ポイント』で初めてサービスのマス告知を行ったのです。その時のコピー「100年貯めたっていい。永久不滅ポイント」は、「東池袋52」でもお世話になっている仲畑貴志さんです。

実は、このCMをある有名人にお願いする予定でしたが、ご本人の健康問題もあり契約には至らず、いわば苦し紛れで打ったのが、おじいさんの大車輪だったのです。

この企画の決裁が社内でなかなか下りず大変でした。最後に無理やり「1週間だけやらせてほしい」と経営陣に頼み込んで……結果的には、これまでのクレディセゾンの歴史の中で最も反響を呼んだCMになりました。

この後もCMのヒットが続きますが、それがどうして「危機感」になるのでしょうか。

相河: 『永久不滅ポイント』は15年が経過し、他社のポイントに比べて失効しないという斬新さは未だあるものの、決済サービスに他社も相次いで参入し、その流れの中でセゾンブランドが埋没気味ではないかと思いました。みんな新しいものが好きですから(笑)。

また、ポイントの使われ方などお客様のカードのとらえ方も変わっていく中で、特に「若年層に向けてわれわれのポジションが弱くなってきているのはないか」という課題認識のもとに、PRを含めて新しい施策を打ち出す必要がありました。

14年には女優の武田梨奈さんを起用した頭で瓦を割るCMをつくり、大きな評判を呼びました。私自身、自信をもって制作し、インパクトのあるいい広告だと思っていますが、今申し上げたような課題を跳ね返すまでには至らなかったと感じていました。

今のままでのマス広告のあり方が果たしていいのか、企業が一方的に情報発信するやり方は今後通用しなくなるのではないか、そういう危機感が膨らんでいきました。そんな話を当社のCMを長年手掛けてくださっている仲畑さんと議論しているところに流れてきたのが、あの曲でした。

アイドルグループ欅坂46の「二人セゾン」ですね。

相河: 16年11月に出たあのアイドルグループのあの曲を聞いて、われわれとしては「これは利用しない手はないよね」と思ったわけです。その曲は瞬く間にヒット曲となり、周辺からもSNS上でも「どうしてタイアップしないのか」という声も上がりました。

しかし、なかなか実現までには至らず、もやもやした中でただ時間だけが過ぎる、それが17年の1、2月という時期でした。

「じゃあ、曲を作ってしまおう」という仲畑さんの後押しが本当に大きくて、仲畑さんの発想力と人脈を大いに活用させていただきました。

聞くところによると、仲畑さんもかなりあの曲を聴き込んで歌詞を書いてくださったそうです。こうしてあの曲の(勝手に)アンサーソングという形で仕上がったのがデビュー曲「わたしセゾン」です。

SNSで火がつき、一気にブレークしました。

相河: 5月19日時点では「わたしセゾン」1曲で終わる予定でしたが、19日に動画を公開してからその後の10日間ほどで状況がガラリと変わってしまいました。テレビの朝の情報番組にも取りあげられましたし、ネットを中心にこちらが驚くほどの大反響でした。

「これはいける」という感触を得て、次の施策、その次という具合に継続のための方策を考える必要に急きょ迫られました。全くの「想定外」でしたね。

メンバー選出はどのように進めたのでしょうか?

相河: 本当はやりたい人が手を挙げるというのが公平だったと思います。しかし、企画した私自身もどんな方向に進むのか全く想像ができませんでしたし、会社にもうまく説明できず、周囲の理解を得られませんでした。やむを得ず、個別に声を掛け始めたというのが実際のところです。

結果的に各支社や関係会社の協力を得ることができ24人が集まってくれましたが、初めは本当に大変で、ずっと断られていましたね。

そんな時、声を掛けたのが蛯ナした。彼女の上司が彼女にダンス経験があるのを知っていたので、恐る恐る祈るような気持ちでした。ここでOKをもらって勢いがつき、社内をゲリラ的に回ってメンバーを募っていきました。

蛛F ある日、突然上長と相河に呼ばれて、「今度アイドルを作るので、歌って踊ってくれませんか」と。細かな説明は全くありませんでした(笑)。私はずっとダンスをやっていたので喜んで「私でよかったら」とその場でお引き受けしました。

アイドルの王道をいくようなPVで評判が高いのですが、PV撮影の前の全体練習が2回だったとか?

蛛F そうなんです。3月初めに1度全体で練習して、自主練期間が1カ月半ほどあって、4月後半の撮影前日は各自のフォーメーションなどを「合わせる」だけでしたね(笑)。

私の経験から言えば、あれだけの人数で合わせるのは大変難しいのに、全体練習が2回というのには驚きました。私と同じネット事業部にもメンバーが2人いますが、うち1人は全くの未経験者で、仕事が終わった後、何度か一緒に練習しました。みんな覚えるのに必死でした。

デビューしてわずか3カ月で、横浜アリーナのステージ(@JAM EXPO 2017)にも立ちました。

蛛F ステージに出る前に、私たちは「うまく踊れなかったらどうしよう」「みんなが受け入れてくれなかったらどうしよう」と緊張のあまりテンションが下がってしまい、しかも、会場の雰囲気が変わってしまったことも分かりました。会場スタッフの方から「もっと元気を出して行こう」と声を掛けられるほどでした。

舞台に上がってからは、ファンの方に助けられましたね。コールアンドレスポンスでは「セゾン」と叫んでくれましたし、セカンドシングルの「なつセゾン」は初披露だったにもかかわらず、すぐダンスを真似て一緒に踊ってくれました。「本当にアイドルみたいになってきたね」とステージを降りた後、メンバーみんな感無量といった様子でした。

テレビの情報番組をはじめ、様々なメディアに取りあげられました。

相河: メディアへは基本的にはお声掛けいただいたところにしっかり出させていただいています。これまで、メディアで取りあげられたのは300件くらいでしょうか。露出が露出が呼び、イベントなどで、メンバーの調整も回らなくなったので、第2期生を入れました。

情報発信ではテレビCMをはじめ、マス広告を使わず、PRだけで認知を広げることに成功しました。10月にあったサッカー日本代表戦では、当社がサッカー日本代表のサポーティングカンパニーでもあるのでCM枠を使って、例外的に恐る恐る「大丈夫かな、大丈夫だよね」と流しました。幸いにもSNSでの反応もよくて、ほっとしました。

インナーブランディングの観点から社内でどんな効果が出ていますか。

相河: 現在、様々な決済サービスが勃興してきている中、当社が勝ち抜くために何が必要かというと、私は戦略とともに人だと考えています。

私は一度プロモーションの現場を離れ地方で営業を担当した後、本社に戻って来たのですが、本社の元気のなさに愕然としました。冒頭でお話した若年層の新規獲得にもつながりますが、効果的な施策が打ち出せず社内に閉塞感がありました。これを打ち破るためにも社内の風通しをよくしないといけません。

これまでも社内表彰式などを活用して、社員がものを言える場や状況をつくり出すことに取り組んできました。「東池袋52」の取り組みもその延長線上にあります。徐々にその効果が出てきたというところでしょうか。

会社の業績にどれだけ影響を与えるかというよりも、私は今後メンバーがそれぞれの職場で活躍してくれれば、この取り組みを通じて若い社員が成長するきっかけをつかんでもらえたなら、やった甲斐がありますし、意味のあることだと思っています。

蛛F 社内で動画を流していただいたり、ポスターを貼っていただいたりして、「見たよ」と声を掛けられる機会が増えました。お取引先に対しても話が弾むきっかけになったりして、仕事をする上でもスムーズにかつ密接になっている気がします。

「雪セゾン」が公開され、季節とともに活動もひと巡りしました。いよいよ最終章になるのでしょうか。

相河: 社内的には完結という認識ですが、社外的には引き合いがある限り、もう少し頑張りたいと思っています。テレビCMでも「東池袋52」を使って2、3月にセゾンのプロモーションを展開する予定です。

最後に、今後の意気込みをお願いします。

蛛F 12月15日に新曲「雪セゾン」が出ました。クレディセゾン本社のあるサンシャインシティで12月23日に開催された「サンシャインシティ“Make”a Christmas wish クリスマスライブ」に出演しました。前回の「あきセゾン」よりもさらに進化した私たちをご覧いただけたと思います。

相河: 地方でのイベントで遠征することが多く、本社の社員でも彼女たちの活躍を直接目にする機会はあまりありませんでした。多くの仲間たちに、凱旋パフォーマンスを楽しんでもらえたと思います。

その時々の風を読みながら手探りで続けてきて、最初に思い描いたものとは全く違う絵になりました。あらためてネットによる拡散の威力を知ったプロジェクトでした。マス告知していないにもかかわらず、短期間で認知が広がったのはすごいことだと思います。同時に怖さも感じています。。

「東池袋52」が、新しいPRのフォーマットになるかもしれません。コンテンツだけで、これだけの認知を獲得できることを私も会社も知ってしまいました。この後の広告・宣伝、かなり苦しむと思います(笑)。

<クレディセゾン> 設立:1951年5月1日
全楽曲の作詞は仲畑氏、作曲が多田慎也氏、振り付けを振付屋かぶきもん氏が担当。通常のPVに加え、メイキング動画も好評だ。「通常業務をこなしながら挑戦する彼女たちの姿をおさめたメイキングは、企業アイドルとして裏側で努力する様子が分かり、多くの働く方の共感を得られたのではないでしょうか」と相河さんは分析する。