ケーススタディー: 双日様 (2017年8月号掲載)
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双日
広報部 制作課 課長
小林正幸氏
古くて新しい総合商社のブランドづくり
双日はニチメンと日商岩井が2003年4月に持ち株会社を設立し、04年4月に合併して誕生しました。
ニチメン、日商岩井というブランドは高い認知度がありましたが、双日ではゼロからブランドづくりをする必要がありました。また、双日の歴史的背景については社内でも十分に浸透しているとは言えませんでした。
双日は新しい会社ではありますが、「古くて伝統のある新しい会社」です。双日と、そのルーツである岩井商店、鈴木商店、日本綿花を結びつけることで社外に向けて認知度向上を図るとともに、社内に向けても同様に双日が築いてきたものを教示し、企業理念の浸透や社員の意識高揚につなげたいと思いました。
そのため、昨年末に本社ロビーにて歴史展示ルームを設置し、双日の歴史について社外にアピールするとともに、インナーコミュニケーションの観点から社内に対するアプローチを図っています。
双日が誕生した2004年以降に入社した社会人、すなわち現在35歳以下の人たちは、就職活動の時にニチメン、日商岩井という会社が存在しておらず、一方的に「双日はニチメンと日商岩井が合併した会社です」と伝えてもピンとこないわけです。また歴史という堅いテーマを伝える上で、若い層の方々に関心を抱いてもらう方法を見つけるのはとても難しいものでした。
読み手が楽しむことができ、そして若い層の方々にとっても分かりやすく学ぶことができるPR方法―その答えが漫画という手段であり、1980年代後半から90年代にかけて『週刊ヤングジャンプ』に連載され、人気を博した「栄光なき天才たち〜鈴木商店編」を活用することにしました。
35歳以下となるとテレビも見ないネット世代と言われています。そこで当社のWEB上及びスマホからでも簡単に見ることができるよう無償公開し、ネット広告やSNSなどを通して特別サイトへの誘導を図りました。
この効果は大変大きく、「栄光なき天才たち」に親しんだ世代、すなわち40歳以上の世代に対するPR効果も抜群でした。
15年末に、ネット広告の先駆的な試みとして、NHKの朝ドラにもなった広岡浅子とその夫・信五郎が登場する「総合商社双日へと続く 広岡浅子・広岡信五郎の物語」という特別サイトを開設しました。
信五郎は日本綿花の発起人の一人として名を連ねており、大阪商人の志が現在の双日まで続くということを分かりやすく紹介しました。特別サイトへの訪問者数は約200万人に達し、サイトへの平均滞在時間も5分50秒に及びました。
ネット広告はBtoC企業が商品を販売するための活用がほとんどですが、当社が行ったのは、当社について知ってもらうための広告であり、ネット広告界に新たな風穴を開けたとおっしゃってくださる方もいます。
08年に秘書部に配属されたのが発端です。当時の双日は、財務体質の改善が進み攻勢に出始めた時期であり、私は重要な顧客のリストを作る仕事を任されていました。その重要な顧客のリストを作る中で、多くのお客様と双日が100年以上も前から関係が続いている事実に驚きました。
私が入社後初の外出先だったトクヤマさんは、兄弟会社のように我々に親しくしてくださったのですが、トクヤマさんも岩井商店の岩井勝次郎が設立した企業だと後で知り、「親しい関係には理由があった」と腑に落ちました。このような過程を経て、双日のルーツに興味を持ちました。
双日のルーツである岩井商店が設立した会社は現在の関西ペイント、ダイセル、日新製鋼、日本橋梁など多岐に渡っています。その岩井系ゆかりの企業でつくる最勝会の事務局が双日の秘書部に置かれていることもきっかけとなり、私はまず岩井商店について勉強し、次に鈴木商店について学ぼうと、旧鈴木商店OB会でつくる辰巳会に出入りするようになりました。
その過程で日本綿花の歴史にも関心を持ったわけです。大正元年、紡績業は国内全産業の5割を占めていましたが、日本綿花はまさにその紡績業のリーダーとして業界を牽引していました。
これまで、日商岩井、日本綿花の歴史をそれぞれ学んだ人はきっといるでしょう。ただ、この3社を合わせ双日という枠組みで、当時の歴史的な意義をまとめ、3社の源流をたどったのは私が初めてではないでしょうか。
鈴木商店は1917年に日本一の商社となり、その売上高は当時のGNPの1割に相当しました。日本綿花もまた綿花の調達と綿製品の輸出において日本の紡績業を牽引し、岩井商店はセルロイドやソーダ製品など輸入製品の国産化に尽力しました。
こうして見ると、双日の源流となる3社は、圧倒的な日本最大の企業群と言うことができ、当社の歴史がそのまま日本の産業史になっているといっても過言ではありません。こうして考えると自社の歴史を当社だけのものにするのではなく、広く世間に知ってもらいたいという気持ちになったのです。
鈴木商店を題材とした小説「お家さん」(原作・玉岡かおる氏)が2014年5月、讀賣テレビ開局55周年の記念ドラマとして放映されました。
鈴木商店の女主人で「お家さん」と呼ばれた鈴木よね役は天海祐希さん、大番頭の金子直吉役は小栗旬さんという豪華な配役で、関西地区では20%以上の高視聴率を記録しました。私もドラマの時代考証に協力させていただきました。
「鈴木商店記念館」が同年4月、ウェブ上にオープンしました。偶然にも同時期に「お家さん」が放映され、鈴木商店の再評価に向けて機運が高まるきっかけになりました。
プロジェクトを進めていた辰巳会は、鈴木商店関係者の親睦会で資金も限られていたため、箱モノではなく、ネット上に開館すればコストを抑えられると、有志6人で「インターネット記念館構想」を立ち上げたのが13年6月のことでした。
資金もさることながら、問題はサイト運営に必要なマンパワーでした。そこで、鈴木商店の歴史を調べている地域の愛好家の方々に協力を求め全国を飛び回りました。すると30〜40人のボランティアの方々の協力を得ることができました。
そんな中、「お家さん」ドラマ化の話が舞い込んできたのです。ドラマ効果もあり協賛企業は当初の4社から24社(現在は34社)にもなり、構想からわずか1年でオープンすることができました。なお、今年5月末までの閲覧者数は約66万人に上ります。
15年4月に、「鈴木商店記念館」開館1周年を記念して都内で「鈴木商店シンポジウム」を開催し、120人を超える出席者がありました。さらには同年10月、北海道羽幌町で開催された「羽幌炭砿閉山45年記念シンポジウム」に「鈴木商店記念館」が協力しました。
鈴木商店破綻後、大番頭の金子直吉が鈴木再興の夢をかけて挑んだのが羽幌炭砿です。閉山で全国へ移り住んでいった炭砿関係者や住民の方々とともに当時の炭砿を振り返りながら、貴重な炭砿遺産を観光資源として活用することを訴えました。
羽幌炭砿など、鈴木商店が発祥の地である神戸から全国に活動を広げて地域に根づいていく過程は、地方活性化の実現ともいえます。「鈴木商店記念館」の活動も鈴木商店の軌跡をたどるだけでなく地方活性化につなげたいと、社会的な方向にシフトしていきました。
昨年は金子直吉の生誕150周年を記念し、故郷である高知県仁淀川町で開催されたイベントや、兵庫県相生市にて鈴木商店と播磨造船所(現・IHI)の歴史を振り返る企画展などに協力してきました。鈴木商店が大正期に播磨造船所を買収し、造船所を拡張したという歴史があります。
15年の「鈴木商店シンポジウム」で仕掛けたことがあります。神戸市は2年後の17年に神戸港開港150周年記念事業を計画していましたが、我々はそれに合わせて、港町神戸の繁栄に貢献した鈴木商店の歴史的な価値を後世に伝えたいという想いから、鈴木商店モニュメントを設置したいとシンポジウムの場で構想を表明しました。その後、神戸市などと何度も折衝を重ね、同市中央区の本店跡地にモニュメントを設置することができました。
双日がインド最大のゼネコンと進めているデリー・ムンバイ間貨物専用鉄道は大きなプロジェクトです。一部区間の軌道や電化工事の受注額は、円借款案件として過去最大規模となります。
双日とインドの関わりも、第一次大戦中の鈴木商店とインド・タタ財閥との関係まで遡ることができ、現在進捗する事業においても歴史と切り離すことはできません。現在と過去が「作られた物語ではないか」と疑ってしまうほど、きれいにつながっていることに驚くばかりです。
引き続きネットコンテンツを中心に、広報・広告活動を展開していく予定で、6月には特別サイト「空飛ぶ双日」も開設しました。
双日は総合商社として航空機分野で業界第1位の実績を誇り、その歴史も100年前の鈴木商店に辿り着くことができるため、鈴木商店ロンドン支店で英国相手に強気のビジネスを貫いた高畑誠一を主人公とした物語を漫画で描きました。今後は、歴史に加えて、世界で展開しているプロジェクトの紹介にも力を入れていきたいと思っています。