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ケーススタディー: 埼玉県三芳町様 (2016年6月号掲載)

※数値等のデータは掲載当時のものです。
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埼玉県三芳町
秘書広報室 秘書広報担当
佐久間智之氏

特集・広報誌を考える/下
埼玉県三芳町「広報みよし」、日本一への挑戦
予算がなくてもアイデアで勝負
「広報づくりは魅力ある町づくり」
カメラを縦に構えることが多い。左右の余白が少なく場面を切り取った縦写真には訴求力がある。「下からあおって撮ることもあれば、思い切り高いところから撮ることもあります」。埼玉県三芳町。都心から最も近い町の広報紙が、2015年全国広報コンクールで日本一になった。「広報みよし」編集担当の佐久間智之さんは、写真も編集もゼロから学んだ。読まれずに捨てられていた広報紙を1人で再生させた町職員は役場でも目立つが「出すぎた杭は打たれない」と意に介さない。「わが町」を見つめる視線は低く、いつも自然体。「Miyoshi」のロゴの入ったTシャツは佐久間さんの普段着だ。
前部署で、捨てられていた広報紙を目の当たりにしたことが広報紙編集を志すきっかけになったそうですね。

介護保険担当の時に、マンションのゴミ箱に大量に広報紙が捨てられていたのを見ました。「税金の無駄ではないか」と思いましたし、せっかく町の情報を発信しているのに読まれていないのはもったいないと強く感じました。

広報紙を改革して三芳町の魅力を伝えたいと公募に手を挙げました。「日本一の広報紙を作ります」と宣言して11年4月に広報紙担当になりました。

「広報紙日本一」の“公約”を昨年、実現しました。町からの「一方的なお知らせ」ではなく、目玉となる特集を組み、読ませる広報紙に変えました。

どんないい広報紙を作っても手に取って開いてもらわなければ何にもなりません。まずロゴをローマ字に変えると「外国かぶれ」といった批判を受けました。同時に保存用のパンチ穴を廃止したのは、写真が活きるように大胆に紙面を作りたかったからです。そして2色刷りだったのをフルカラーにしました。

従来は印刷に加え、編集作業を業者に委託していたので、経費が約1200万円かかっていました。それを自前で製作し半分の約600万円に切り詰めることができたのです。

●配布対象:三芳町民 ●発行サイクル:月1回 ●判型・ページ数:A4・32ページ ●製作体制:本年度から3人
●特長:AR・QRを駆使した情報提供。「トカイナカ」「住人十色」「能力を『農力』に変える」など毎号のコピーも魅力

カラーにする限り、見栄えのする写真を載せる必要があります。カメラ、レンズを自前で揃え、写真を一から勉強しました。写真は毎回、いろんな角度から撮るようにしています。

一番大切にしていることは楽しみながらやることですね。デザイン、レイアウトは四六時中、雑誌を読み漁って独学でスキルを磨いてきました。女性誌を見ても誌面に出てくるモデルさんに目が行き、「どこから光を当てているのだろう」と気になります。駅に行けば今度は看板が気になり、携帯で撮ってストックしてしまいます(笑)。

広報紙編集は未経験でしたが、不安はありませんでしたか?

公務員になる前に、ビジュアル系バンドでプロを目指していました。バンドではフライヤー(チラシ)を自分たちで作っていましたし、曲作りもしていたので、「何もないキャンバスに絵を描く」のと同じで、クリエイティブなものなら自分にもきっとできると妙な自信がありました。

とはいいながら、手がけたデビュー作(2011年5月号)は散々なものでした。情報を詰め込みすぎていて、文字の級数もバラバラで見るのも嫌なくらいです。

転機になったのは何でしょう?

福岡県福智町の「広報ふくち」を初めて見た時にびっくりしました。「広報ふくち」は、全国広報コンクール入賞の常連で、雑誌のような紙面、それが自前のDTPで製作されていました。何よりも住民の方が登場して町を語る姿に「これだ」と思いました。

DTP編集は、作業効率も上がりますし、コスト削減も実現できるので、いま自治体広報紙ではベーシックなスタイルとなっています。最初は「広報ふくち」をお手本にさせてもらいながら、自分のスタイルを確立していきました。

役場内でも相当の反発があったのでは?

担当課からこれを広報に載せてほしいと渡された資料がA4で5枚くらいになるのですね。私がそれを切り詰めて掲載しようとすると、「全部載せなければ町民のためにならない」と猛反発です。そこで「情報は要点を絞らないと読まれない」と返して、激論になることもありました。

今では理解を得られたと思っていますが、広報紙担当になる時、現町長から「好きにやっていい」と背中を押してもらったことを支えにやってきました。

若者をターゲットにした紙面づくりをしています。

スマホを離さないような若者に手に取ってもらえるような紙面づくりを心掛けています。14年1月号からAR(拡張現実)やQRコードを多用したクロスメディア化を進めて、紙を超えた情報をお伝えしています。映写機マークがある表紙などの写真をスマホやタブレット端末でかざすと動画が流れる仕組みとなっています。

自治体広報紙は子どもにもお年寄りにも読みやすいということが大前提です。書体もユニバーサルデザインフォントを使用し、お役所言葉を使わず、見出しも10文字程度に収めるようにしています。お年寄りから「若者向けになって読みにくい」と言われたことはありません。

全国広報コンクールの1枚写真部門で特選に入った13年12月号の表紙が目を引きました。あえて白黒写真を掲載し、構図は山車が曳かれる祭りの最高潮ではなく、祭りが始まろうとする静かな場面を選んだのはどうしてですか?

地元の祭りである上富まつりを写したもので、約1000枚撮ったうちの1枚です。イベントになると撮影する枚数が増えますね。

この写真は山車を曳く直前に撮影しました。地面に顔をつけ、下からのアングルで山車の存在感と、けやき並木の壮大感を表現しました。半被を着ている人が集中力を高めている緊張感を表現するには、カラーよりも白黒の方が合っていると判断しました。

私はよく寝そべって撮影するのですが、普段と違う目線で撮った写真というものを意識しているからでもあります。子どもの写真を撮る時も子どもの目線は大人とは異なり、自然とローアングルになるのです。

今年の全国広報コンクールでは2部門で入選しました。昨年の1枚写真部門で日本一になったのを含め、4年連続の全国入賞となりました。

初めて広報企画部門で入選しました。広報企画は、予算ゼロで三芳町の知名度アップを図るプロジェクトを評価していただいたものです。意識したのは「点」ではなく「線」で結んだ取り組みです。

町内企業の光学レンズメーカーであるケンコー・トキナーさんと協働で写真コンテストを開き(総額50万円以上の賞品提供)、そのPRを三芳町出身の元モーニング娘。の吉澤ひとみさんと埼玉県出身の金澤朋子さん(Juice=Juice)にしてもらいました。お2人には「広報みよし」の一日編集長&アシスタントや里山里海イベントにもご協力をいただき、ファンの方がSNSを通じ写真コンテストを拡散してくれました。

また、6言語によるスマホ向け配信でご協力いただいたフォント開発販売のモリサワさんとは、吉澤さん、金澤さんが所属するハロー!プロジェクトのイベントにブースを共同出展し、三芳町をPRしました。

一連の取り組みは、企画した時は1人でしたが、結果的に多くの人を巻き込み、三芳町を全国に売り込むことができたと手応えを感じています。

吉澤ひとみさんの広報大使も「予算ゼロ」だったのですか?

ダメ元で町広報大使をお願いしたところ、 快くノーギャラで引き受けてもらえたのです。役場内でも無理だと散々叩かれましたが、チャレンジはするものですね。

吉澤さんにもメリットを感じていただけるように、吉澤さん自身のプロモーションにも三芳町を使ってもらうなど、お互いによい関係を築くことができています。

最後に「住民目線」の自治体広報はどうあるべきなのでしょうか?

昨年、「広報みよし」が“日本一”になり、朝日新聞の「ひと」をはじめ、多くのメディアに取りあげていただいたり、講演に招かれたり貴重な体験をしました。今年はこの経験を役場の中に伝えていく、インナーコミュニケーションが課題ととらえています。

4月から2人後輩が付いたということもあり、「伝える」ことがテーマです。役場内では「佐久間一人が頑張っている」と冷めた感じで見ている職員もいると思います。役場全体に情報やノウハウを共有できるような仕組みづくりにも取り組みたいです。

職員の“やる気カロリー”を上げていく“やる気の着火”役が私の今年の使命になるのかと思っています。私一人でも仕事の熱量を上げていくことで、他の職員にその熱が伝導していけばいいですね。

広報を通じて何がしたいかと言うと、私の造語ですが、「FAN=FUN」を作ることです。町を愛する人、仕事を楽しみながら町のために行動する人を増やしながら、広報紙というラブレターを心を込めて届けていきたいと思います。

<埼玉県三芳町> 町制施行:1970年11月3日
年間編集計画は立てないと言う佐久間さん。「広報は生物です。その時の旬のものをお届けしたいですね」。孤軍奮闘していた佐久間さんにも4月から強力な“援軍”が。「後輩が2人配属されました。まずは写真の撮り方だと、子どもの写真を撮るコツは寝そべって撮ることだとアングルの大事さを教えたところです」と笑う。