ケーススタディー: ドワンゴ様 (2015年9月号掲載)
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ドワンゴ 宣伝部
広報PRセクション マネージャ
松本晶子氏
「人間臭い将棋に引きつけられて」
2010年にさかのぼります。清水市代・現女流六段(対戦時は女流王将)と情報処理学会のコンピュータ将棋システム「あから2010」の対局をニコニコ生放送で中継したのが最初でした。
情報処理学会は「トッププロ棋士に勝つためのコンピュータ将棋プロジェクト」を立ち上げ「棋力がプロと対戦するレベルに達した」と、日本将棋連盟に挑戦状を送ったのです。そこで女流トップ棋士が受けて立ったのがこの一戦でした。
結果はコンピュータの勝利となりましたが、対局を中継するに当たって、社内では「盛り上がらないのではないか」という声が多数を占めていたのを覚えています。ところが、実際に中継してみると大きな反響を呼びました。この一戦が「電王戦」につながっていくのです。
当時の日本将棋連盟の米長邦雄会長は「これからはネットの時代だ。将棋とネットの相性はとてもいいのではないか」とおっしゃっていて、米長会長の英断で11年からタイトル戦をネット中継するに至りました。現在、7大タイトル戦中、6大棋戦を生中継しています。
棋戦の生中継を通じ、将棋が多くのユーザーからの支持があったことと、IT企業として人工知能に関しても非常に関心があったことから、「将棋電王戦」と題してプロ棋士とコンピュータの対戦を大型企画として打ち出しました。
最高峰の頭脳を持つプロ棋士対最強コンピュータの真剣勝負を通じて、自社サービスの盛り上がりや将棋ファンのすそ野を拡大、さらには進化を続ける人工知能と人間の共生について考える機会を提供することができたらと考えています。
あの場ではまず誰もが事実を受け入れられず、何が起こったのか分かりませんでした。対局開始からわずか49分のことでした。コンピュータのトラブルかと思いましたが、やはり投了だと分かり、そこでまた驚きました。この21手での終局は人間同士では普通起こりえないことです。
多くの論議を巻き起こした対局になりましたが、間近で見ていた一人として「これ以上勝負を続けられない」という投了の決断にも人間臭さが見られましたし、コンピュータを相手にしたプロ棋士が見せた意地の一手という意味でも、やはり人間のもつ一面を見ることができました。人間とコンピュータの様々な面を知った貴重な一局だったと感じました。
対局が終わりツイッターや掲示板も含めて、ものすごい量のコメントがあふれましたが、それにも増して、コメント一つ一つに込められた視聴者の熱量に圧倒されました。
「電王戦FINAL」のニコニコ生放送の総視聴者数は前回と同じくらいで延べ200万人近くに及びました。
プロ棋士が勝ち越した今回は、棋士の方々が普段のご自分の力と将棋ソフトの研究成果を出して戦ったという印象を持ちました。コンピュータ将棋に慣れ親しんだ棋士が多かったこともあったと思います。
また、過去3回の「電王戦」を経て、コンピュータ将棋という未知なるもののベールがはがれていき、そういった不安や重圧からも解放され、好結果につながったのではないでしょうか。
将棋も人工知能もそれぞれ専門性が高く、かつ異なるジャンルのものです。それを組み合わせたのが電王戦です。
第2回目以降の団体戦より、本格的にPRに取り組みましたが、まず行ったことは自らの取材です。私自身、メディアに分かりやすく説明する必要性を感じたので、調べるだけでなく、人工知能を研究されている大学教授や開発者の元に出向き、一から教えていただきました。
同時にベテランの将棋関係者からも多くのことを勉強させていただきました。そこで得た基本的な情報はもちろん、身近で驚きのある豊富な周辺情報も含めてプレゼン資料に活かしながら、それを持って興味を持っていただけそうなメディアを個別に回り「電王戦」をアピールしました。
人工知能は私たちの身近なところで活用されており、将棋が人工知能の分野で格好の研究材料だということ、将棋ソフトの開発が進むことでその技術が介護・医療現場、エネルギーの最適化にも応用されていくという展望などについても説明し、将棋・人工知能の双方に興味をもっていただけるよう、プレゼンに力を入れました。
PVを制作しているのは、総合格闘技イベント「PRIDE」のPVなどを手掛けた映像作家の佐藤大輔さんです。
将棋と人工知能という一見取っ付きにくい企画なので、PVを使い、エンタテインメント性の高いビジュアルで分かりやすく見せています。そこにストーリー性を加えドラマティックに仕上げることで、これまで関心のなかった女性にも楽しんでいただけるような内容になっているかと思います。
本番の対局に俄然興味がわき、どちらの対戦者も応援したくなり、本番に向けて期待と興奮が高まるようなPVづくりを心掛けています。
これまでの団体戦の「電王戦」はこちらが選出した、あるいは立候補されたプロ棋士の方に出場していただきました。さらなる最強棋士と最強のコンピュータの真剣勝負を見たいというユーザーのニーズは高まっています。そのニーズにお応えできるよう、「叡王戦」は全プロ棋士対象のエントリー制とし、出場棋士は段位別予選と本戦を勝ち抜いて優勝を目指します。
優勝棋士には16年春に開催される「第1期電王戦」への出場権が与えられます。過去の「電王戦」でコンピュータの強さを見せつけられる中、果敢に大物棋士が次々と参加を表明され、ユーザーからも歓喜の声が聞かれました。
■叡王戦
ドワンゴと日本将棋連盟は6月3日、記者発表会を行い、16年春に新棋戦優勝者対最強ソフトの対局「第1期電王戦」を開催することを発表。新棋戦の名称は「叡王戦」と決まった。「叡王戦」には、全現役プロ棋士159人中154人がエントリーした。社内の誰もが「実現は難しいのでは」と思っていた企画でした。これをトヨタ自動車さんが快諾してくださったと聞いてみんな驚きましたね。「地上最大の対局」と銘打って、本物の車がマス目を行き交う様子はとてもインパクトがあったと思います。
「もっと、クルマにワクワクとドキドキを」というトヨタさんの思いとも重なり、従来の将棋ファンや車ファン、そのほかの方にも広く楽しんでいただけるイベントになりました。
ネットを活用した企画やサービスをより広く多くの方々に知っていただき興味をもっていただくには、ITやネットに不慣れな層へのリーチも踏まえ、分かりやすく噛み砕いて伝えることが大切かと思います。
例えば、ニコニコでの将棋の盛り上がりを説明するとき、視聴数やコメントの反響をもってしてもなかなか刺さらず、一定のメディアへのリーチにとどまっていました。しかし、羽生善治名人がこの将棋の新たな楽しみ方を「縁台将棋の現代版」と非常に分かりやすく端的に例えてくださったので、その言葉をお借りしPRするやいなや、多くの方の理解と関心を高め、幅広いメディアで取りあげていただくことができました。
エンターテインメントのくくりで言えば、太古の昔から遊び場があって、遊び道具があり、時代とともに変化してきました。ネット時代の現代では遊び場をプラットフォーム、遊び道具をデバイスやコンテンツ、交流手段をコミュニケーションツールに置き換えて考えてみると昔も今も人の楽しみ方や欲求の根本は同じで、PRの本質も変わらないと思います。
ただ、それらが多種多様化する中、今どこにどんな人たちが集まっているかをキャッチするアンテナの数を増やし、ネット上ボーダレスな海外まで張り巡らすようにしています。そして自ら体験しながらチェックをし、アプローチ先やリリースタイミングに活かせるようにしています。
ニコニコのコメント機能に見られるように、ユーザーとの距離が近いというのが当社の強みでもあると思います。ユーザーのコメントはすべて拝見し、そこからヒントを得てサービスをカスタマイズすることもあれば、まだ声に上がっていない企画の考案に知恵を絞ることも多いです。
PR・広報としてユーザーの声を聞くことを大切にしつつ、あっと驚くようなサービスを打ち出しながら、これからもさまざまなコミュニケーションの「場」を提供していきたいと思っています。