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ケーススタディー: 三井不動産様 (2015年3月号掲載)

※数値等のデータは掲載当時のものです。
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三井不動産
日比谷街づくり推進部
事業グループ
村山実氏

三井不動産の東北復興支援活動
「わたす 日本橋」通じ三陸の“旬”発信
「マルシェ」開催、特産品販路開拓へ
東日本大震災から4年。人々の社会貢献への意識は企業のCSR活動を変化させた。震災直後は寄付やボランティアが大きな援助だったが、次第に「本業で役に立てることは何か」と自社事業とリンクした活動へシフトしてきた。3月にオープンした三井不動産の復興支援活動の交流拠点「わたす 日本橋」。プロジェクトメンバーの一人、村山実さんは「わたす 日本橋」に設けたカフェのメニューづくりや都内で特産品を販売する「マルシェ」に取り組んでいる。
「わたす 日本橋」が3月3日オープンしました。

村山: 1階・2階がカフェで、3階が交流フロアとなっています。

三井不動産発祥の地である日本橋を起点として被災地とつながっていきたいという思いを強く持っていました。ネーミングについても日本橋だから「橋渡し」で「和を足す」「輪を足す」という意味も込めました。

大震災から4年が経ち、被災地の現状を継続して発信していく必要性はますます重要になってきています。そのためには、日常的に人が集まる場所にしたかったのです。

被災地に関心のある人ばかりでなく、多くの人が気軽に立ち寄れて、被災地の今を知っていただけるような施設にしたいと考えました。和モダンなデザインのカフェにして敷居を低くしました。オープンして1カ月経ちますが、女性のお客様が目立ちますね。

きっかけは一人の女性社員のボランティア活動だとお聞きしました。

三陸の恵みをふんだんに使った
『わたすランチ』

宮崎(宮崎さち子氏・ビルディング事業企画部)が震災から3カ月後にボランティア活動で宮城県南三陸町を訪れました。会社としてではなく個人として現地で活動を始めたのです。

宮崎は「きっかけはボランティアかもしれないけど、私自身が南三陸に引きつけられ、南三陸が大好きだから足を運ぶのだ」と常日頃から言っています。

そうした宮崎の行動に専務の北原(北原義一氏)も共感し一緒に現地を訪れ、仮設住宅の集会所で住民の方々と直接、語り合う機会を持ちました。

復興が進まず過酷な状況の中でも本業である水産業を復活させるべく頑張っている若者の姿などを目の当たりにして、北原自身は「三井不動産としても何かお役に立ちたい」という思いを強くしたと思います。これが今回のプロジェクトを会社として進める第一歩になりました。

「わたす 日本橋」では学習支援もしていますね。

被災地の子どもたちへの支援も重要なテーマの一つに掲げています。日本橋に拠点のあるNPO法人の「キッズドア」さんと連携して、テレビ会議システムを通じて町立志津川中学校の生徒さんに補習授業をしています。

以前は現地で講師を確保しなければならないという制約があり、また、生徒の多くも仮設住宅から時間をかけて学校へ通っていて、十分な学習環境と学習時間を持てない状態が続いていました。

遠隔授業ならスクールバスの待ち時間を活用でき、講師も東京の大学生がボランティアで行うことが可能で、生徒たちも集中して勉強もできる環境を提供できるのではないかと考えました。

村山さん自身、復興庁に出向した経験をお持ちです。

2012年2月に復興庁が開設され、4月から2年間、復興庁に出向しました。復興庁にはプロパーの職員はいませんが、各省庁から人材が集められ、また、民間の活力を生かすため、経済団体を介して大手企業から20人ほどが派遣されてきました。

国会議員などの現地視察のアテンドから始めました。次に気仙沼市の担当になり、自治体が国の復興交付金を活用して復興のまちづくりを進めていくための計画策定の支援をしました。

復興庁では民間のメンバーを中心に地域復興マッチング「結の場」を事業として立ち上げました。

宮城県沿岸部は津波被害が甚大な地域で、「被災地の産業復興をどうしたら手助けできるのか」と地元企業を回って話を聞くと、実に多くの問題を抱えているのがわかりました。「一番求められるのはどんな支援ですか」と水産加工会社の社長さんに尋ねると「販路の開拓」という答えが多かったのです。工場を再建しても商品の売り先がなかったら工場を回してもどうしようもないのですね。

販路の開拓にはブランドの強化が欠かせません。例えば石巻港は魚種が多彩で漁獲量も多いにもかかわらず他の漁港との違いや売りが埋没しているという側面があります。私は脂の乗った「金華サバ」が大好きですが、「金華サバ」というブランドは広く知られているわけではありません。ブランド資源のPRについても課題として浮き彫りになっていきました。

販促のノウハウは民間にあります。「結の場」は技術や情報、販路など、自分たちの経営資源を提供できる大手企業と、被災企業とのお見合いの場であり、現地のニーズと企業側のシーズをうまくマッチングする、縁結びの役割を果たすことができました。

三井不動産としても「結の場」に参加し、直接現地の方々と対話を重ねながら、当社でできることは何か、具体的なメニューの考案に知恵を絞りました。

「結の場」は、都内で特産品を紹介・販売する「霞マルシェ」にもつながっていきました。

「2013年の「霞マルシェ」

「霞マルシェ」は、特産品の販路拡大をお手伝いをしようと、「結の場」に参加した三井不動産が主体となり石巻の企業と連携して実現しました。大手企業の多くが東京に拠点があり、「マルシェ」を都内で開くことで、多くの宣伝・広告効果を期待できます。

三井不動産が運営・管理する霞が関ビルで2013年、2014年と「霞マルシェ」を開催しています。オフィスビルだけでなく官庁も集積する霞が関はPRにはもってこいの場所で復興大臣もお越しになり大きなアピールができました。

南三陸では社員研修も行っています。

南三陸町での社員研修

被災地の現状を見たり、震災を経験された方々の話を聞くことにより、被災地の方々の思いを受けとめることができたらと、研修を2014年5月と11月に社員有志を募り行いました。

仮設住宅の住民の方とお茶を飲みながら交流したり、子どもたちとボール遊びをしたり、集会所の清掃なども体験しました。今年も5月に予定しています。

復興支援活動と企業のCSR活動はどうあるべきでしょうか?

企業のCSRというよりは、地元の方の笑顔が増える活動にしたいというのがメンバー共通の思いです。復興支援を通じて三井不動産という企業をPRするのとは全く違います。ただ、三井不動産という同じ会社で一緒に働いている仲間とともに、企業として復興支援活動のできる会社でありたいと思っています。

社員研修などを通じ、被災地の応援隊になってくれる仲間が増え、とても心強く感じています。「わたす 日本橋」がオープンしてすぐに予約を入れてくれたのは研修で一緒に現地に行った仲間でした。

4年経って大震災の風化が進んでいることに現地では危機感を募らせています。まだまだ復興と言える状態ではなく、これからの活動こそが大切だと気を引き締めています。

今のお仕事にこの経験をどう活かしていきますか?

現在、私は日比谷公園周辺で進めている「(仮称)新日比谷プロジェクト」に携わっています。明治期には鹿鳴館、現在でも帝国ホテルや宝塚劇場があります。西洋文化の先駆けとしての歴史を踏まえた開発計画を考えています。

新産業創出を支援する場を設けることや、まちの中心には広場も計画しており、こうした場所を通じて被災地支援につながるような仕掛けも行っていきたいと思っています。

「わたす 日本橋」は新聞をはじめ多くの露出がありました。メディア露出を図るためにどんな活動を展開されましたか?

三井不動産
広報部広報グループ
浦田知里氏

浦田: 「わたす 日本橋」でいうと、施設の概要もさることながら、プロジェクトに携わるメンバーの背景をお伝えした方が、メディアの方々もストーリーを作りやすいのではないかと考えました。それは通常のニュースリリースに盛り込むのは難しいので別途、参考資料としてまとめました。キャラバンの際に参考資料を活用しましたね。

オープン時の内覧会には南三陸町長もお越しいただき、約20媒体の取材を受けました。記者の方にもお料理を召し上がっていただきました。「マルシェ」に関しては同時期に行われるイベント「霞テラス フラワーフェスタ」と合わせ、メッセージを復興支援に限定せず、多くの方々に届くようなPRをしました。

広報として復興支援活動に今後どう関わっていきますか?

広報の私からみても「わたす 日本橋」の取り組みは「心がこもった」活動であると自負しています。6月に学習支援が再開する予定です。報道などをきっかけに、講師のボランティアも増えていけばうれしいですね。「マルシェ」も含めて、広く多くの方々に復興支援の輪が広がっていくようなPRに努めていきたいと考えています。

<三井不動産> 設立:昭和16年7月15日
『わたすランチ』は3段重になっていて、計8種類のお惣菜が入っている。「すべてのお惣菜に東北の食材が使われています。伊豆沼産赤豚やフカ(サメ)カツも人気があります。寺村(一郎)シェフが、現地で漁師の方と船に乗るなどして食材を探しています。三陸の旬の素材をふんだんに使ったお料理を召し上がれるのが『わたす』の一番の売りです」と村山さん。