ケーススタディー: 富士フイルム様 (2014年2月号掲載)
「写真でつながるプロジェクト」リーダー
富士フイルム
e戦略推進室
統括マネージャー
板橋祐一氏
「写真でつながるプロジェクト」サブリーダー
富士フイルム
イメージング事業部
新規ビジネス・ソリューション企画開発グループ
マネージャー
吉村英紀氏
富士フイルム
コーポレートコミュニケーション部
位下幸太郎氏
自社技術を活用、市民との間つなぐ
板橋: 震災から間もない2011年3月20日すぎでした。被災地にいらっしゃる方から「泥まみれの写真が集まってきています。どうしたらいいのでしょうか」というお問い合わせをお客様コミュニケーションセンターにいただきました。
広報部門にも、現地を取材された記者の方から同じような声が届いていて「写真メーカーとして放っておくわけにはいかない。何かできることはないだろうか」と社内で情報を集めていました。技術部門では、写真の洗い方などの実験をスタートさせました。
吉村: 2000年の東海豪雨での知見があったので、水でくっついてしまった写真への対処法など技術部門から情報を上げてもらい3月24日にウェブで公開しました。それをご覧になったテレビ局の方から被災地に役立つ情報が欲しいと広報部門に連絡がありました。
4月5日には現地で回収した写真を報道番組のカメラの前で実際に洗浄することになりました。
板橋: その時に初めて現物を目にしたんですね。写真同士くっついていて海水から引き上げられたのがわかりました。同時に「よく残っていたな。よく帰ってきたね」と思いました。商品を送り出した我々の所に戻ってきたのだと感じたんです。
写真は本来ここにあるべきではありません。持ち主の手元にあるべきです。流出した写真を被災地ではどう扱っていいかわからないと途方に暮れていました。
「何とかしてくれよ」と写真が言っているような気がしました。40分くらいかけて慎重に作業しました。何とかはがすことができて、その場にいた人から自然と拍手が出たのを覚えています。
このことで写真を洗浄する方法を被災地に伝えなければという思いを強くしました。
デジカメが普及し写真プリントは減った。
被災地では写真を形にして残す必要性を痛感させられた。
板橋: 4月9日、エコカーを借りて現地に入り、まずお問い合わせをいただいた所を訪れました。
宮城県気仙沼市にある避難所のリーダーの方から「車や家はまた買えばいい。思い出はどこにも売っていない。思い出を取り戻したい。1枚の写真があることがこれから生きていく支えになる」と言われました。
「写真の復旧はライフラインの復旧と同じくらい意義あることかもしれない」とこの時はっきりわかりました。
困ったのは、写真洗浄の仕方を被災地にどう伝えたらいいのかということでした。写真を元に戻す方法はわかった。ただ、被災地にどんな手段で伝えればよいのかがわからなかった。
そこで活躍してくれたのが広報部門でした。4月下旬には写真の洗浄方法を伝えるテレビCMを作り被災地で流しました。広報部門が積極的にメディアに働きかけた結果、4月、5月にかけて多くの媒体で取りあげていただき、認知が広がっていきました。
被災地と神奈川工場の2つの現場で写真と向き合った
板橋: 4月中旬から6月までで訪問先は延べ80カ所に及びました。
地域によってはボランティアが集まらない所もあり、このままでは写真の劣化が進んでしまいます。そこで写真をお預かりして弊社の神奈川工場足柄サイトで洗おうということになりました。
社内のボランティア集めにも広報部門が力を発揮してくれました。社内の食堂にボランティア募集のポスターを張ったり、社内報にチラシを挟んだりして社員やOBの方が多い時には100人くらい集まってくれました。
新入社員も役員も一緒になって作業しました。あるOBが「自分たちが送り出した写真が帰ってきた。この写真を救うのは我々の仕事だ」と新人に話しかける姿が印象的でした。
神奈川工場では社員に加えて多くのOBもボランティアとして参加した
吉村: 先ほど板橋がお話しした気仙沼にある避難所のリーダーの方が、洗浄ボランティアリーダーとして新聞で紹介されました。以後、その方を中心にボランティアグループ同士のつながりができ、作業を分担するようになったんですね。
被災地の外にも洗浄するポイントがいくつかできました。今どのポイントが空いているとか、多く抱えているなどの情報が我々にも共有されるようになり、いわば富士フイルムが結節点となって点と点をつなげていったのです。
写真洗浄のご説明はできるだけ多くの場所で行いたいので、1カ所にとどまることはしませんでした。洗浄作業自体をお手伝いすることが主眼ではなく、写真を洗浄する方法をお伝えする仕事をしているのだと思っていました。
ボランティアはその地域で活動を継続しますから、我々がいろいろな場所を訪ねたことでネットワークを広げていくことができたのはよかったと思います。
板橋: 移動中や作業中はラジオをつけて余震などの情報を常に入れるようにしていましたし、海岸沿いの避難場所では特に安全確保に注意を払って作業していました。
また、被災地の光景は見せ物ではありませんので、被災者の方が不快な思いをしないように、記録用の写真を撮る際は必要性をよく考えて撮影しました。
洗浄作業を行うにあたり、念頭に置かなければならないことは、写真が元に戻って持ち主の方が必ずしも喜ぶとは限らないということです。思い出したくないことでもあるでしょうし、そもそも「写真がきれいになり、持ち主の元に戻れば喜ばれる」というのは我々の思い込みでしかないのです。
位下: 「プロジェクト」始動から広報部門も一貫して関わってきました。集まってきた情報をいかに広くお伝えするのか、新聞やテレビ、ラジオといったメディアの力を借りながら、情報を発信しました。
救済方法を知らないがために、大切な思い出が詰まった「かけがえのない写真」を廃棄してしまうことのないように、被災地にいらっしゃる1人でも多くの方に当社の活動を知っていただくべく全力で取り組みました。
社会貢献活動というだけでなく、写真メーカーとしての使命感で動いていました。社内に対しても参加を働きかけ、全社的な動きにつなげることができましたので、「プロジェクト」関連の広報活動に手応えを感じています。
2011年から被災地で写真救済をしている団体の担当者や関東で写真洗浄ボランティアをしている団体のリーダーとともに「写真救済サミット」を開催している
板橋: 我々は画像によって時代を超えて、国や言語が違えども共通のイメージを持つことができます。
デジタル化が進み便利になりました。記録メディアもディスク系やメモリーカードなど様々です。ただ、デジタルメディアの変遷は急激で、今使っているメディアが10年後使えるとは限りません。
デジタルはある日突然データが読み出せなくなるというリスクもあります。プリントという形にして残してほしいと、「プロジェクト」を通じて改めて認識しました。
吉村: 昨年3月に『イヤーアルバム』を商品化しました。撮り溜めたたくさんの画像の中から、アプリが自動でいい画像を選んでレイアウトしてくれます。写真をプリントして残すことをお客様任せにせずにメーカーとしてできることを形にしていきたいです。
お母さん方が集まってワイワイ写真を選んでアルバムを作ろうと始めたアルバムカフェも1つの試みです。写真をプリントして形に残してもらうためには越えるべき壁があります。それを技術で、または楽しいイベントで乗り越えていこうという提案です。
被災地で見たこと、やってきたことをしっかり伝えていく活動をするとともに、活動を通してわかった「写真を形にして残すことの大切さ」を訴えながら、メーカーとして商品やサービスに反映していくのが我々の使命だと思っています。